2015年02月03日
2015年02月01日
歴史創作主要三人
ツイッターで「歴史クラスタフォロー祭り」たるものがあったのですが、「そういえば自分をアピールできるイラストが無いんじゃね?!」と気づき、各時代で私を沼に引きずりこんだ主要人物で描きました。
天正期から蠣崎慶廣
寛文期からオニビシ
安政期から熊坂適山
使い時はいつになるか不明。
2015年01月24日
2015年01月19日
藩主三人らくがき
初代・慶廣 五代目・矩廣 十二代目・崇廣
なんとなーくミュシャパロ。
慶廣は蠣崎から松前へと姓を変えた、松前初代。
矩廣は幼少の頃に藩主となり、寛文蝦夷蜂起を経て、門昌庵事件を経て、歴代藩主最長の任期となった文化人。
崇廣は六男の立場から藩主となり、幕府より寺社奉行や老中を任された、西洋通。
戦譚シリーズの主要藩主三人ですねえ。
2013年04月21日
らくがき
松前寛文家老ズである蔵人と主殿の人物背景を追いかけるうちに始祖蠣崎慶広時代につっこみ、始祖トリオ、東北諸藩と、しばらく戦国末期の北海道と東北のカオスぶりにはまっていました。
その反動だったのか、久しぶりに描いたシャクシャインとオニビシはこんなんでした。
2013年03月10日
2013年03月07日
蠣崎貞広
生年不明~1635年没。
慶広兄弟の末弟。正広の養子となり、慶広の松前改姓後に蠣崎宗家の家督を継いだ人。
寛文家老ズの蔵人広林の祖父。
家老職には就かなかったものの、公広が藩主としてやっていけるように尽力したとか。
彼の息子利広が蔵人を名乗るようになるものの、慶広の息子にも同じ利広という名の人物が存在し、二人とも蔵人を名乗ったことがあるとかですごく紛らわしい。
慶広の息子、松前長門守利広は謀反を企てたため松前を追放され、その後に貞広の息子の利広が蔵人を名乗ったという流れではないかな。
慶広が亡くなり、孫の公広が藩主になったのが1617年、松前利広の追放が1618年。
慶広藩主時代に家老職へ就いていたのはたぶんに、松前利広と主殿助を名乗り始めた守広。その陰で貞広が公広の世話をしていたのではないかしら。慶広が亡くなったのをいいことに松前利広の謀反という事件が起きたり、守広も娘を公広の側室へ嫁がせたりと、権力争いが顕著になってしまった気がする。
先代トリオ(公広・利広・友広)あたりの時系列を整理したら、始祖トリオ(慶広・正広・守広)と寛文トリオ(泰広・広林・広隆)が紐解けそうです。
ざっくり年表のほかに松前トリオ年表が必要ですなw
以下、戦譚用の妄想。
↓
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2013年02月24日
松前藩始祖トリオ
江戸時代寛文期、すなわちシャクシャインの戦いがあった当時、この時期の松前藩家老二人、蠣崎蔵人広林と蠣崎主殿広隆が一体どんな背景を持つ人物であったか、探るべく調べていくうちに松前藩の成立以前にまで遡り、戦国時代末期にまでやってきてしまいました。
そんなこんなで始祖トリオもキャラが起きてきたのでイラストを置いていきます。
ちょびっと解説つき。
↓
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2012年11月28日
松前八左衛門泰広
やっちのカラーで一枚絵がないなと思って描きました。
副題は『GLITTERだよ、八左衛門殿!』 キラキラ特盛。今の精一杯のデジ塗り。
甲冑ウギャー、光ウギャー言いながら描きました。
えらく気合が入ったのでたぶん松前藩の誰かが憑いていたと思います。たぶん。
↓背景入れる前。
タグ :松前藩
2012年11月21日
軍手でシャクシャイン作ってみた
刺繍がひと段落ついたので、こんなものを作ってみました。
UFOキャッチャーの景品のようなものを目指してみたのですが、思いのほかけっこう手間がががががが。
髪の毛を布にしたかったものの、理想の布に会えずこうなりました。
着物はフェルトです。
チニンニヌプ。
羽織。
タグ :シブチャリーズ