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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2012年11月02日

イラスト2枚


ツイッターのアイコン用に描いた庄太夫。


勢いで描いて勢いで色をつけたオニビシ。
持っている“乙結”は“おっけつ”ではなく“おとゆい”と読むらしいw
芳醇・乙結。

生活でバタバタしています。今月中には落ち着きたいです。  

Posted by 赤崎いくや at 06:04Comments(0)戦譚シャクシャイン

2012年10月10日

戦譚リク絵3枚



花屋なカン君。農作男子は畑作だけでは飽き足らず、花卉にも手を出したようです。



石狩のハウカセ。
近江商人の金太夫を娘婿に持ち、シャクシャインの蜂起には協力せず。松前藩の味方蝦夷というわけでもなく、シャクシャイン亡きあとも独自で抵抗していた人。シャクシャインより政治力高めっぽい。



診断メーカーによるお題
「RTされたらあなたはベルサイユのばらの絵柄でオニビシを描きましょう。」

おまけ。唐突に描きたくなった甲冑装備の家老ズ。
  


Posted by 赤崎いくや at 04:17Comments(0)戦譚シャクシャイン

2012年10月04日

ラクガキ4枚



戦譚脳内PV
ぱふーむのSpring of lifeを聞いていたら思い浮かんだ、戦譚総集編のようなもの。
一番はシブチャリーズ編。






  

Posted by 赤崎いくや at 21:52Comments(0)戦譚シャクシャイン

2012年09月24日

題字をいただきました



『戦譚シャクシャイン』の題字をツイッターのフォロワー様より戴きました。
ぼそっと呟いたところに反応いただき、ありがとうございました。
いただいてから時間が空いてしまい、紹介が遅れましたことをお詫び申し上げます。
作者様と全体図はまた改めて紹介したいと思います。  

Posted by 赤崎いくや at 17:41Comments(0)戦譚シャクシャイン

2012年09月20日

松前泰広到着、シブチャリ軍撤退



江戸より派遣された松前軍総大将・松前八左衛門泰広



シブチャリ軍、陰の総大将・越後庄太夫

寛文9年8月25日、新暦で1669年9月20日。
シブチャリ軍が撤退を始めました。
8月4日の国縫~長万部の衝突以降、各地でゲリラ戦を展開するも敗戦が続き、そこへ松前泰広が江戸軍を連れて現地松前軍と合流。シブチャリより援軍があるも、兵糧不足と松前軍の強化からの撤退と言われています。

実はこの松前泰広の江戸軍、合流するものの幕府からの老中奉書が無ければ動けない状態でした。
数日後に藩主松前矩広とこの松前泰広宛に老中奉書が届き、正式に討伐の命がおりることとなります。
泰広はそこから軍を再編し、松前に近しい味方蝦夷の懐柔を行い、シブチャリ軍の分断工作を開始します。

松前藩視点からすると、泰広の到着はいい目くらましになり、シブチャリ軍同様兵糧不足の危機にあったものが救われて、ギリギリセーフなところがあったんでしょな。
泰広の到着まで蔵人率いる松前軍はよくねばったと思う。うん。



おまけ。松前鬼太夫の嫁さん。左からぴち嫁、やっち嫁、だゆん嫁。  

Posted by 赤崎いくや at 17:51Comments(0)戦譚シャクシャイン

2012年09月07日

長万部戦


長万部戦のメインはカン君対蔵人と信じてやまない。
しかしカン君が参戦していた記録はない……。

寛文9年8月4日、新暦で1669年8月30日。

国縫~長万部にてシャクシャインの戦い最大の衝突がありました。
松前軍は六百人ほど、シブチャリ軍は五百人ほどの軍勢だったといい、数日前より小競り合いがあるものの天候が悪く、進退つかず。
シブチャリ軍は奇策を用い、松前軍は鉄砲を主力に戦ったようです。

シブチャリ軍の奇策は、わら人形を使ったおとりや戦死者をすぐに隠すなどの目くらまし、弓兵の位置などがあるようです。
松前軍は鉄砲で戦う一方、シブチャリ軍の船や拠点の破壊、現地首長格の連行など、戦術のスタンダードをいった感じですかね。


カン君と蔵人、義弟コンビの心の友、ぴちともーさん。
私のお気に入り二人はまあ、いつもこんな調子です。  

Posted by 赤崎いくや at 17:08Comments(0)戦譚シャクシャイン

2012年08月21日

343年前の今日に、その2


松前の守護番長。

1669年7月25日、新暦で8月21日。

シブチャリ軍300人ほどがエトモに到着、その後モンベツに進むという連絡が松前に入ります。
エトモは現在の室蘭、モンベツは伊達紋別。

松前家老の蠣崎蔵人広林はこの知らせより自らも国縫に向けて約200人を連れて出陣、同じく家老の蠣崎主殿広隆は松前に残り幕府や東北諸藩の対応に。

蔵人出陣の約一週間後、国縫~長万部にてシャクシャインの戦い最大の衝突が起こります。

  
タグ :歴史松前藩


Posted by 赤崎いくや at 23:59Comments(0)戦譚シャクシャイン

2012年08月18日

らくがき何枚か



ご無沙汰しております。
今は半纏サイズの着物を作成しており、そちらにかかりきりです。

ただ、時折“戦譚発作”なるものを起こしてはラクガキしています。
その発作時のラクガキを置いていきます。
着物のほうはいずれ、作成過程といっしょにサイトへ上げられたらいいなあと考えています。

以下ラクガキ。ネタ系ばっかり
   ↓
  続きを読む

Posted by 赤崎いくや at 04:36Comments(0)戦譚シャクシャイン

2012年07月11日

343年前の今日に



北の農作男子(ΦωΦ)

寛文9年6月14日、新暦で1669年7月11日。シコツ(苫小牧周辺)で松前の商船が襲撃されました。

蜂起決行の初戦、これより各地で商船の襲撃が続きます。
シャクシャイン軍は商船から食糧等を奪うことで後の遠征へ備えたと思われます。
後日生き残った船員と白老の味方蝦夷によって松前へ蜂起の知らせが入ります。

シャクシャインの三男と言われるカンリリカは、道南方面よりシャクシャインの檄を伝えてまわり、蜂起を促す役目を担ったとされています。
彼が辿ったルートは国縫から磯谷であり、遠征を見越した下調べの可能性があります。
  


Posted by 赤崎いくや at 23:59Comments(0)戦譚シャクシャイン

2012年07月06日

とろけるオッサン武将二匹



藩主矩広が9歳のとき、佐藤さんは74歳、シャクシャインは64歳ということで、こんなもんが。

佐藤権左衛門季信、公広の時代より松前を守ってきた武将。
この男なしでは、松前の危機を乗り切ることなどできなかった……たぶん……。  

Posted by 赤崎いくや at 07:07Comments(0)戦譚シャクシャイン