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2011年11月10日

「まるで恋だね」妄想まとめ

―――ことの発端。
寛文九年、八月上旬、松前泰広は蠣崎蔵人の部隊と合流。
庄太夫率いるシブチャリ軍と松前泰広率いる松前軍が衝突(※創作)。
合戦を通じて互いの戦略に胸が高鳴りだす。

庄太夫「よく訓練された兵、隙のない布陣と戦略、こんな策なら鉄砲なんておかざりみたい……
これが松前泰広なんだね……カン君、おれ、恋しちゃいそう」
カンリリカ「姉さん、義兄が事件です」

【前提】
・庄太夫は秋田藩の隠密ではなかろうか。
“越後の庄太夫”というのは身元を隠すためかもしれない。
北海道の金堀には隠れキリシタンが多かった。それは静内も例外ではない。
秋田藩のキリシタンが書かれた名簿には庄太夫の名前があるらしい。
隠密かキリシタンかは定かではないにしろ、秋田とは深い縁があるようだ。
シャクシャインに蜂起を促したのは庄太夫。
松前がシャクシャインに提示した和睦条件の中に“庄太夫の命は助ける”というものがあった。

・旗本、松前泰広は松前藩においても江戸幕府においても要人だった。
松前から分家されて江戸に住まう。
婚姻関係を経て親近者から兵法などを学んで、
自身でも軍事に関する本を献上するあたり軍事知識は相当あったと思われる。
蝦夷蜂起の知らせを聞いて自ら討伐を願い出た記録もあり。
当時の松前藩は幼君擁立が相次ぎ、家臣が好き勝手やっていた節があった。
彼は江戸と松前の仲を取り持ち、松前藩回復のため、奔走していたのかもしれない。

−−−−−−−−−−

赤崎ともう一人で二人について調べているわけですが、庄太夫の直接資料となりうるのは
彼の火刑を指示したであろう松前泰広本人の出陣報告書。
この資料には全く持って縁がなく、一度も読んだことがない。
泰広さんは庄太夫をどう記録したのか、赤崎らは気になって気になってもう。
あれやこれやで庄太夫と泰広さんのネタは『まるで恋だね』と、タイトルがつきました(笑)

以下、診断メーカー【http://shindanmaker.com/74923】からのお題で広がった妄想、その他のまとめ。
ちょっとイラストを足してみた。あとツイッター投稿のため、台本小説モドキ。
基本的に ネ タ です。ヘイラッシャイ。
   ↓

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Posted by 赤崎いくや at 17:12Comments(0)戦譚シャクシャイン