さぽろぐ

日記・一般  |その他北海道

ログインヘルプ


スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2014年08月21日

さらに一年、何かから誘われたかのように



静内を離れて一年が経過し、ブログも一年ほったらかしでした。
そうしている間に知ったものも多かったです。

その中でも何の縁なのか、一方的に運命めいたものを感じることがありました。
なァに、勘違いをするのは得意です。
赤崎は適山に会いました。

引っ越した先で『夷酋列像』の画集を戴いたのですが、その作者は松前藩家老の蠣崎波響だということは松前ネタクラスタでは、知られているところ。
その波響の弟子に熊坂適山という人がいて、彼の出身地が現在で言う福島県の伊達市であり、私の一族と同郷でした。
なんぞ、このめぐり合わせはと思い、適山が気になってきて調べる。

絵を習いたくて家出をしたこともある適山。なんだこの面白そうなおっさんは。
そして松前御用絵師となり、勘定方もこなし、松前福山にて没した適山。なんだちょっと羨ましいぞこのおっさん。
クナシリメナシの戦いより後に生まれて、幕末へと向かっていく時代に生きた適山。なんだ意外と物語作りやすそうだなおっさん。
適山の弟子いわく、適山の人物像は「俗を離れし人」「絵画よりも学問、学問より人格の人」だったとか。まじかよおっさん。

そんなわけでツボってしまって、あっという間にキャラデザが浮かび上がり、キャラ化が進みました。そして描いたのが上記のイラストでした。
しかしこれ以上は深入りしません。

波響から夷酋列像は見せてもらったことがあるのかとか、弟の蘭斎は江戸藩邸で医師だったんだなとか、藩主松前崇廣とはどうだったのかとか、時代的には松浦武四郎もあるよなとか、妄想が逞しくなりますが、深入りしません。
ああ深入りしないとも。
天正期と寛文期に帰ってこれる自信がない。

あれやこれやとバタつくことが多い日々ですが、生きてます。  

Posted by 赤崎いくや at 00:00Comments(0)日常・その他