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2013年02月24日

松前藩始祖トリオ



江戸時代寛文期、すなわちシャクシャインの戦いがあった当時、この時期の松前藩家老二人、蠣崎蔵人広林と蠣崎主殿広隆が一体どんな背景を持つ人物であったか、探るべく調べていくうちに松前藩の成立以前にまで遡り、戦国時代末期にまでやってきてしまいました。

そんなこんなで始祖トリオもキャラが起きてきたのでイラストを置いていきます。
ちょびっと解説つき。
   ↓


蠣崎慶広(1548生~1616没) 松前改姓は1599年。
蠣崎氏はもともと安東氏の代官で蝦夷地を任されていた立場であり、慶広は安東氏からの独立をはかり、秀吉に近づき、家康に近づき、蠣崎氏を蝦夷地の主として認めさせ、安東氏から独立することに成功。
朝鮮半島への遠征のため秀吉が本営を構えていたところへ慶広が行ったときに、彼は唐衣(サンタンチミプ、蝦夷錦)をまとっていたという。ちら見せ唐衣にルウンペコーデで狄の嶋主アピールです。でもルウンペを着せているのは創作です。

幼名が天才丸。キング オブ エゾチ。ヨシピロ。



蠣崎正広(1548生~1586没) 慶広の異母弟で同い年。
正広系蠣崎家(蔵人流蠣崎家)の始祖。家老ズひろりんの曾おじいちゃんにあたる。
蠣崎氏の家督相続をめぐり、慶広と対立の立場にあったと言われる人物。後ろには安東氏がついていたとか。信長に会ったことがあるらしい。
子供は女子しかいなかったため末弟の貞広が養子に入って後を継ぎ、正広の死後、慶広は松前に改姓し、蠣崎宗家として家督が譲られることとなる。

慶広と正広は、安東氏に呼び出されては戦へ出向き、思いのほか数をこなしているイメージ。
始祖トリオの中で一番背を高く設定してある。ひろりんの逆w



蠣崎守広(1564生~1635没) 慶広、正広の異母弟。
守広系蠣崎家(主殿流蠣崎家)の始祖。家老ズもーさんのおじいちゃんにあたる。
彼は自分の娘を正広の養子に入った貞広にとつがせーの、慶広の孫にあたる二代目藩主公広の側室にとつがせーの、松前藩でも重臣にあたる下国安東氏にもとつがせーのした人物。
公広の息子、後の藩主である氏広を自宅に招いた際、火事になり、危険な目に遭わせた自責からそのまま火事に身を投げて自殺したという。
しかしきな臭い話、氏広は公広と公家の娘の間に生まれた子であり、当時はすでに公広と守広の娘の間に泰広たちが誕生しているあたり、守広は氏広の暗殺をはかったとも自殺にみせた他殺とも、そういう推測もあるとか。おっかないね。

見た目麗しく、あざとく、腹黒いイメージ。
そんな守広と違って、もーさんは「善悪の沙汰なし」と記録されるくらいそつないというw

■一応家系図のリンクも貼っておきます→【松前藩ざっくり家系図

おまけの家老ズ。



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