2015年02月08日
ワンドロ
ツイッターで「創作戦国版深夜の真剣お絵かき一時間一本勝負」というものに参加して描いた、ちかき様。
下書きして清書してと、色を塗るどころか満足に影も入れられず、一時間の壁にぶつかりまくってきました。
ちかき様は描いていて楽しいです。
即席彫刻模様とか入れてみた。雄ならば男仕事の彫刻だろう、と。
ポーズはぴぽぴぽさせようとして、諦めた……。手を描いていたらもっと時間を費やすことに……。難しいのだもの、手って。
2015年02月07日
2015年02月04日
2月4日の記事
自分の中でぼんやりと考えていたことが、仕事関係の本に書かれていてすっきり。
今まで発生する数の少なかった事象が、どんどん増えてきたことにより名前がついてカテゴライズされていくのですが、名前がつくことでひとまずの安心を得るということ、理解を広めるのに便利であること、他の可能性を無視してひとくくりにされてしまう懸念があること、カテゴライズはゴールではなくスタートであるということ、そいうことが分かりやすく書いてありました。
私のような素人が思いつくようなことは、プロがずっと先に、まとめあげているもんです、うん。
今まで発生する数の少なかった事象が、どんどん増えてきたことにより名前がついてカテゴライズされていくのですが、名前がつくことでひとまずの安心を得るということ、理解を広めるのに便利であること、他の可能性を無視してひとくくりにされてしまう懸念があること、カテゴライズはゴールではなくスタートであるということ、そいうことが分かりやすく書いてありました。
私のような素人が思いつくようなことは、プロがずっと先に、まとめあげているもんです、うん。
2015年02月03日
2015年02月01日
歴史創作主要三人
ツイッターで「歴史クラスタフォロー祭り」たるものがあったのですが、「そういえば自分をアピールできるイラストが無いんじゃね?!」と気づき、各時代で私を沼に引きずりこんだ主要人物で描きました。
天正期から蠣崎慶廣
寛文期からオニビシ
安政期から熊坂適山
使い時はいつになるか不明。
2015年01月30日
2015年01月29日
道というより氷です
先日は仕事のことでヒートアップし、用事足しに町中を歩き回りました。
雪が深い中で雨が降ったため、道はでこぼこしており、歩きづらくて体力を消耗したようです。
起きていられなくて寝ました。
一日一枚、らくがきでもなんでもいいからイラストを描こうと続けていますが、むりしてもしょーがないよね……(遠い目)
雪が深い中で雨が降ったため、道はでこぼこしており、歩きづらくて体力を消耗したようです。
起きていられなくて寝ました。
一日一枚、らくがきでもなんでもいいからイラストを描こうと続けていますが、むりしてもしょーがないよね……(遠い目)
2015年01月27日
2015年01月26日
適山63歳
安政期松前藩の文化人はけっこう適山でつながっていることに気づいて、「おおぅ」ってなりました。
適山は松前江戸藩邸へ勤めるようになった安政5年(1858年)の時点で63歳。
誰と交流を持っていても不自然ではない年齢になっていたという……。
適山は松前江戸藩邸へ勤めるようになった安政5年(1858年)の時点で63歳。
誰と交流を持っていても不自然ではない年齢になっていたという……。
2015年01月25日
適山効果ふたたび
前回は適山の画風であった南画から、日本画を調べた話をちょびっと書きました。今回は服飾。
戦国時代の天正期や江戸時代初期の寛文期のキャラクターには、結構好き勝手に創作した衣装を着せていたのですが、幕末へと向かう安政期のキャラクターにはそこまで創作色の強い衣装が思いつかなかったという、自分でも謎現象が起きました。
松前藩安政組とテキトーにカテゴライズして、適山をメインにこれこそ興味の向くまま調べては、ただただネタにしていく感じでしたが、キャラクターたちに色々とポーズを取らせていくうちに、今まで気にしていなかった和柄や和服の構造が気になりだしました。
それから手元の本のみではなくネットサイトや図書館の本でもちまちまと調べ、日本の伝統色に関する本を買い、それとなーくなんとなーく知識を得て、らくがきしていくうちに適山の衣装には市松模様が入り、蘭斎は褊綴(へんてつ)を纏うようになり、安政組にも衣装の変化をつけられるようになりました。
衣装創作の引き出しの中身がちょっと増えた、ワーイ。