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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2015年01月13日

ストーリーを考える

そろそろ物語も描いていかなければと、頭の中で話を作っています。
話を作って、画面を起こします。画面をコマ割りします。
すでに気が遠くなってきました。
ちと情熱に欠けるようです。
活きたいですね。  

Posted by 赤崎いくや at 23:13Comments(0)オタクねた

2015年01月12日

集合知というかなんというか

ツイッターでだれかがボソッと疑問を呟くと、知っている人が出てきたり資料が出てきたり、解を求めてどんどんとツイートが流れていくのを見ると、すげえなあといつも思う。
それだけ興味の方向が似た人で集まっているのもあるだろうし、こういったことに労をいとわない人がいるというのもあるだろうし……率直にいいなあと感じました。
そしてみんなの知識と懐の深さが見えるたびに、自分も頑張らないとなーと気が引き締まるですよ。  

Posted by 赤崎いくや at 23:59Comments(0)日常・その他

2015年01月11日

らくがきまんが




なんとなく描いていたらくがき同士で話がつながったので、そのまま思いつくがままにマンガで描いてみたものをまとめてみました。コマ割とかセリフの吹きだしとかもなっしん。
そして崇廣さんはおちゃめだと信じて疑わない。


http://oyna.web.fc2.com/1855/rakugaki/rakugaki01.html

  

Posted by 赤崎いくや at 23:51Comments(0)松前藩安政組

2015年01月10日

衣装パロディ




ご察しください。  

Posted by 赤崎いくや at 23:59Comments(0)オタクねた

2015年01月09日

仕事の話

仕事が変わればまた学ぶものも変わるもので、上司と話しながら新しい単語やその意味を知り、上司すげえって思ったり、自分はまだまだだなあと思ったり、新しいことを覚えることが楽しかったり。
勉強しなきゃなあ。
やりたいことばかりが増えていきます、とほほ。  

Posted by 赤崎いくや at 23:59Comments(0)日常・その他

2015年01月08日

マサピロ




慶廣と同い年の異母弟、正廣。

家督を狙って慶廣に対して謀反を働いたとか記録されていますが、赤崎としてはどうもそんな風には思えず。妄想がはかどります。

彼のイメージ曲がぱふーむの曲なもんで、その振り付けでポーズとらせてみた。。。  

Posted by 赤崎いくや at 23:09Comments(0)創作戦国

2015年01月07日

キャラクターとしての崇廣公




松前伊豆守崇廣、松前12代目藩主。
またの名をバイリンガル老中(違います)
ご本人の写真が残されているので、なるべく似せようとはしたもののご覧のとおり。

そして赤崎には、描きなれてくるとかわいくなる病があるため、彼には男らしいままで描けるよう、けっこうそれなりに、なんとなしに気を遣っています。余裕があって、自信ありげな笑顔がよく似合う人です。

ツイッターのフォロワーさんから、良い笑顔の崇廣公の写真を見せていただいて、惚れました。
この殿様、なんでそんな萌え度高いの、素敵やん……。

それからというものの、殿のキャラクターは自信家でおちゃめな感じに。  

Posted by 赤崎いくや at 23:00Comments(0)松前藩安政組

2015年01月06日

適山効果




適山を描くにあたり、絵師の道具を調べたり、日本画を調べたりしていたわけですが、やはりそこは沼でした。

日本画とひとくちに言っても、細分化されていて浮世絵だの水墨画だのあり、適山の得意分野は南画でした。南画なんて聞いたことのなかった赤崎、とりあえずオンラインで調べてみると、なんとなく見たことあった。

描画方法なんてのも図書館で調べた。どういうわけか、日本伝統色の配色とか着物模様の流行り廃りなんてのも調べ始めた。沼と沼はつながっていました。

天正期が人間模様、寛文期が事象の関連性に力を入れていたとしたら、適山たちには文化的なものに力を入れてみたかったのかもしれない。そんな自己分析。  

Posted by 赤崎いくや at 22:26Comments(0)松前藩安政組

2015年01月05日

またよろしくお願いします



新年明けましておめでとうございます。
またブログを再開してみようと思い立ち、なにもネタがないにも関わらずとりあえず描きました。

結局、画家・熊坂適山から沼にはまり、幕末らへんの人物たちも追うようになって、適山の弟の蘭斎、松前12代目藩主の松前崇廣、家老の松前勘解由とキャラクターが増えてきました。
節操ないことに自信があります。

またよろしくお願いします。  

Posted by 赤崎いくや at 23:59Comments(0)日常・その他

2014年08月21日

さらに一年、何かから誘われたかのように



静内を離れて一年が経過し、ブログも一年ほったらかしでした。
そうしている間に知ったものも多かったです。

その中でも何の縁なのか、一方的に運命めいたものを感じることがありました。
なァに、勘違いをするのは得意です。
赤崎は適山に会いました。

引っ越した先で『夷酋列像』の画集を戴いたのですが、その作者は松前藩家老の蠣崎波響だということは松前ネタクラスタでは、知られているところ。
その波響の弟子に熊坂適山という人がいて、彼の出身地が現在で言う福島県の伊達市であり、私の一族と同郷でした。
なんぞ、このめぐり合わせはと思い、適山が気になってきて調べる。

絵を習いたくて家出をしたこともある適山。なんだこの面白そうなおっさんは。
そして松前御用絵師となり、勘定方もこなし、松前福山にて没した適山。なんだちょっと羨ましいぞこのおっさん。
クナシリメナシの戦いより後に生まれて、幕末へと向かっていく時代に生きた適山。なんだ意外と物語作りやすそうだなおっさん。
適山の弟子いわく、適山の人物像は「俗を離れし人」「絵画よりも学問、学問より人格の人」だったとか。まじかよおっさん。

そんなわけでツボってしまって、あっという間にキャラデザが浮かび上がり、キャラ化が進みました。そして描いたのが上記のイラストでした。
しかしこれ以上は深入りしません。

波響から夷酋列像は見せてもらったことがあるのかとか、弟の蘭斎は江戸藩邸で医師だったんだなとか、藩主松前崇廣とはどうだったのかとか、時代的には松浦武四郎もあるよなとか、妄想が逞しくなりますが、深入りしません。
ああ深入りしないとも。
天正期と寛文期に帰ってこれる自信がない。

あれやこれやとバタつくことが多い日々ですが、生きてます。  

Posted by 赤崎いくや at 00:00Comments(0)日常・その他