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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2015年02月26日

らくがき適山



しあわせそうな適山を描こうと思って、ざっくりと。
持っているぐい飲みには、適山自ら描いた岩石と蘭が、とか考えてる。陶芸家の知人とお遊びで作ったけれど気に入ったので、お買い上げ~な感じで。

適山の作品のうち、1854年(嘉永6年)の作品に、『百花図』というものがあるのですが、これをいつか直に見てみたいです。私個人としては好みの画ですが、適山自身はこれに「自分はまだまだ古人の筆はこびに及ばない(意訳」とか文を添えていて、ちょいと心残りがあるらしいw

  

Posted by 赤崎いくや at 01:25Comments(0)松前藩安政組

2015年02月19日

安政組でハイパー自己満足用ラクガキマンガ



まとめてアップしてみました。
   ↓
http://oyna.web.fc2.com/1855/rakugaki/rakugaki02.html

影からのぞく蘭斎と殿、虎と龍が描きたかっただけとかそんなんじゃry
適山先生は描いていてたのしい……なんか癒される……。
  

Posted by 赤崎いくや at 22:16Comments(0)松前藩安政組

2015年01月27日

適山まわりざっくり相関図


勢いでまとめた。
波響の縁さまさま。  

Posted by 赤崎いくや at 23:59Comments(0)松前藩安政組

2015年01月26日

適山63歳

安政期松前藩の文化人はけっこう適山でつながっていることに気づいて、「おおぅ」ってなりました。
適山は松前江戸藩邸へ勤めるようになった安政5年(1858年)の時点で63歳。
誰と交流を持っていても不自然ではない年齢になっていたという……。  

Posted by 赤崎いくや at 23:59Comments(0)松前藩安政組

2015年01月25日

適山効果ふたたび



前回は適山の画風であった南画から、日本画を調べた話をちょびっと書きました。今回は服飾。

戦国時代の天正期や江戸時代初期の寛文期のキャラクターには、結構好き勝手に創作した衣装を着せていたのですが、幕末へと向かう安政期のキャラクターにはそこまで創作色の強い衣装が思いつかなかったという、自分でも謎現象が起きました。

松前藩安政組とテキトーにカテゴライズして、適山をメインにこれこそ興味の向くまま調べては、ただただネタにしていく感じでしたが、キャラクターたちに色々とポーズを取らせていくうちに、今まで気にしていなかった和柄や和服の構造が気になりだしました。

それから手元の本のみではなくネットサイトや図書館の本でもちまちまと調べ、日本の伝統色に関する本を買い、それとなーくなんとなーく知識を得て、らくがきしていくうちに適山の衣装には市松模様が入り、蘭斎は褊綴(へんてつ)を纏うようになり、安政組にも衣装の変化をつけられるようになりました。

衣装創作の引き出しの中身がちょっと増えた、ワーイ。

  

Posted by 赤崎いくや at 21:41Comments(0)松前藩安政組

2015年01月11日

らくがきまんが




なんとなく描いていたらくがき同士で話がつながったので、そのまま思いつくがままにマンガで描いてみたものをまとめてみました。コマ割とかセリフの吹きだしとかもなっしん。
そして崇廣さんはおちゃめだと信じて疑わない。


http://oyna.web.fc2.com/1855/rakugaki/rakugaki01.html

  

Posted by 赤崎いくや at 23:51Comments(0)松前藩安政組

2015年01月07日

キャラクターとしての崇廣公




松前伊豆守崇廣、松前12代目藩主。
またの名をバイリンガル老中(違います)
ご本人の写真が残されているので、なるべく似せようとはしたもののご覧のとおり。

そして赤崎には、描きなれてくるとかわいくなる病があるため、彼には男らしいままで描けるよう、けっこうそれなりに、なんとなしに気を遣っています。余裕があって、自信ありげな笑顔がよく似合う人です。

ツイッターのフォロワーさんから、良い笑顔の崇廣公の写真を見せていただいて、惚れました。
この殿様、なんでそんな萌え度高いの、素敵やん……。

それからというものの、殿のキャラクターは自信家でおちゃめな感じに。  

Posted by 赤崎いくや at 23:00Comments(0)松前藩安政組

2015年01月06日

適山効果




適山を描くにあたり、絵師の道具を調べたり、日本画を調べたりしていたわけですが、やはりそこは沼でした。

日本画とひとくちに言っても、細分化されていて浮世絵だの水墨画だのあり、適山の得意分野は南画でした。南画なんて聞いたことのなかった赤崎、とりあえずオンラインで調べてみると、なんとなく見たことあった。

描画方法なんてのも図書館で調べた。どういうわけか、日本伝統色の配色とか着物模様の流行り廃りなんてのも調べ始めた。沼と沼はつながっていました。

天正期が人間模様、寛文期が事象の関連性に力を入れていたとしたら、適山たちには文化的なものに力を入れてみたかったのかもしれない。そんな自己分析。  

Posted by 赤崎いくや at 22:26Comments(0)松前藩安政組