2012年09月20日
松前泰広到着、シブチャリ軍撤退
江戸より派遣された松前軍総大将・松前八左衛門泰広
シブチャリ軍、陰の総大将・越後庄太夫
寛文9年8月25日、新暦で1669年9月20日。
シブチャリ軍が撤退を始めました。
8月4日の国縫~長万部の衝突以降、各地でゲリラ戦を展開するも敗戦が続き、そこへ松前泰広が江戸軍を連れて現地松前軍と合流。シブチャリより援軍があるも、兵糧不足と松前軍の強化からの撤退と言われています。
実はこの松前泰広の江戸軍、合流するものの幕府からの老中奉書が無ければ動けない状態でした。
数日後に藩主松前矩広とこの松前泰広宛に老中奉書が届き、正式に討伐の命がおりることとなります。
泰広はそこから軍を再編し、松前に近しい味方蝦夷の懐柔を行い、シブチャリ軍の分断工作を開始します。
松前藩視点からすると、泰広の到着はいい目くらましになり、シブチャリ軍同様兵糧不足の危機にあったものが救われて、ギリギリセーフなところがあったんでしょな。
泰広の到着まで蔵人率いる松前軍はよくねばったと思う。うん。
おまけ。松前鬼太夫の嫁さん。左からぴち嫁、やっち嫁、だゆん嫁。